児童書のことは子どもに聞け!(第二稿)

 山梨県の山中湖情報創造館館長の丸山高広氏のブログ「日々是電網」では、キャラクターや行ってみたい場所が児童書の中に存在しない、と丸山氏がいつものように焚きつけているが、氏特有の問いかけと理解しつつ、敢えて私もこれに乗って、私見を述べたいと思う。
 
 5月31日の「子どもの読書離れは、作品そのものにも一因があるという仮説」において、氏は「児童書の書架で、[魅力あるキャラクター]を探すことが...かなり絶望的に不可能になっています」と述べられている。

 私としては、まず、氏が「魅力あるキャラクター」=「ヒーロー、ヒロイン」としているところに引っかかるのである。
乱暴な三段論法でいけば
子どもの読書離れは作品そのものにヒーロー、ヒロインがいないからである」ということにならないか?
 ヒーロー、ヒロイン、戦隊ものは、言うまでもなくひとつのカテゴリーであって、児童文学における必要条件、十分条件ではない。
 児童文学は、対大人のそれと同じように、自由なジャンル、自由な技法で書かれてよいものであり、その評価は大人、子どもを問わず読者に委ねられるべきものと私は考える。

  次に、私自身は児童書の書架で魅力あるキャラクターを探すことがかなり絶望的に不可能、という感想を地元の一般的な公共図書館で持ったことがなかったので、山中湖情報創造館の書架に何らかの特徴があるのではと思い資料検索を行ってみた。
 山中湖情報創造館の検索システムには、キーワード検索等の機能がないため、児童書を多く取り扱っている偕成社、ポプラ社、福音館書店などの出版社名で検索してみたところ、この図書館の児童書コーナーは、かなり学校図書館的な書架になっているのではないか、ということがわかった。

 要するに、大人が子どもに読ませたい、という教育的配慮による図書がたくさん並んでいる書架なのでは、ということである。
 もちろん、現地に行って書架を直接見ていないので、違うかもしれないし、明らかに現代の子どもは読みたいとは思わないだろう、と思われる資料が開架に並んでいるのか閉架にあるのかはわからない。
 しかし、私には明らかに、共感したから、おもしろいから、楽しいから「読ませたい」のではなく、教育的に「読ませたい」という選書方針が浮かび上がってくるのである。

 公共図書館においては、乳幼児、児童、学童、学生、など、どの年齢の人であっても奉仕対象であるはずだ。
 成人に対する選書で、こういう方針を持ちつつ選書を行えば、あきらかに「図書館の自由に関する宣言」にも抵触するように思うが、こと、子どもに関しては、上からの目線で選書を行っていることを非常に残念に思う。

子どもは大人が思う以上に、選ぶことにも、楽しむことにも、吸収することにも、長けている。

もし、本当に児童文学におけるキャラクターを探したいのなら、是非、子どもたちに聞いてみてほしい。

おとなたちがあれこれ言うよりも、数倍も面白い結果と、素晴らしい蔵書が手に入るだろう。

逆にいえば、先進的な山中湖情報創造館だからこそ、「児童書のことは子どもに聞け!」ということができるはずだと、私は期待するものである。