ふたつの『cogito ergo sum われ思う、ゆえにわれ在り』

臨床哲学の知 ~臨床としての精神病理学のために

臨床哲学の知 ~臨床としての精神病理学のために

↑今、この1冊は読み終わって、
ツチヤ教授の哲学講義

ツチヤ教授の哲学講義


↑この本は、ちょうどデカルトの「cogito ergo sum われ思う、ゆえにわれ在り」についてのところを読んでるわけ。
アタシはパンピー(一般人)なのでこの2冊は難しくてたまんないのだけど、「臨床哲学の知」のむずかしかった部分を土屋教授がやさしくというか、おもしろく解説してくれる感じで、土屋教授の方で「ん?」と思うところは木村先生がうまくまとめてくれていて、お互いが頼りになってます。
cogito ergo sum の部分に関しては、木村先生のIt seems to me that Iam seeing・・・,therefore I amという表現がすごくよくわかった。
ビオスとゾーエーの定義についても木村先生はわかりやすく説明してくれていて、臨床哲学という分野に関して、少し理解できたように思った。


「どうして、精神科と哲学は結びつくのだろうなぁ」と長く考えていたのだけれど、木村先生が
「精神病は、自己が自己であるためのもっとも基本的な条件にかかわる病気、つまり、哲学を成り立たせてきたもっとも基本的な条件にかかわる病気だと思います。」とはっきり述べていて、なるほどと深く納得したのでありました。

それにしても、お茶の水女子大の講義の濃いこと。あのような講義を受けていたら、私ももう少しまともな人間になってただろうな。っとその前にお茶大に入れなけりゃ話にならないのか(タメイキ!)