図書館員は自分の「知」のすべてを使う職業だと信じたい。

yoshim32 さんの「図書館員の専門性をはかるということ」というエントリーで
yoshim32 さんが『「図書館員の専門性って何???」という疑問が自分の頭から離れません』とおっしゃってましたが、ちょっとそのことについて一言言っておこうと思います。

そもそも図書館という組織、そんなに大勢で運営しているわけではありませんよね。
県立レベルはともかく、市町村立の分館などは数人で運営していたりもします。

そんな中で、図書館員の専門性とは何かを考えるに、「なんでもできる」というのが大切なキーワードのような気がするのです。

なんでもそこそこできる人、というのはどんな社会でも重宝されるものですが、こと図書館において、なんでも知っていたり、そこそこどんなことでもできる、というのはちょっと言ってみただけでも図書館員として素晴らしいように聞こえません?

数年ごとにいろいろな部署を回るからこそ、身につく技能や知識があります。
「何年かごとに担当の仕事が変わり、その担当になるごとに、その仕事のエキスパートになるべく必死で勉強し」ているyoshim32 さんは、それこそ、図書館員としてスペシャリストの王道を歩まれているとアタシは思うのです。


どこの部署に回されても、そこで身に付けた仕事はすべて、図書館員としての自分の血となり肉となっているのです。
そこそこ身に付けた「知識」を深めるべく資料を集めたり、調べたりするのは図書館員としては大変なことではないはずです。

そうやって深めた自分の血や肉は、レファレンスや検索、その他利用者サービスを行う際の、重要な「センス」となるのです。
つまり、図書館員は自分の持てる「知」のすべてを使う職業だとアタシは思うのです。(いえ、オーバーではなくホントに。)


近年、そういった図書館員の「センス」を大事に思わない傾向*1にありますが、利用者側から見たら、センスのない図書館員にサービスされることほど不幸なことはないのです。

誇りをもってゼネラリストの道を堂々と歩んでいただきたいです。


アタシは「ゼネラリストであることが図書館員のスペシャリストである」とさえ、思うのです。

*1:無資格者の委託はまさにそうだと思います