映画『ペコロスの母に会いに行く』を観に行って思ったこと
社会福祉の勉強をした人は、必ず習うと思うのだけれど、アメリカのバイスティックという人が定義した相談援助技術の基本、対人援助職の行動規範である「バイスティックの7原則」というあまりにも有名な大原則があります。
この映画を観ながら、ひとつひとつの原則が次々と頭をめぐりました。
学問として習った7原則を通して、実際に現場で援助者、介護者である自分がクライエントである認知症高齢者やそのファミリーとどのように接するべきなのか、などをいろいろ考えました。
若いころに帰っていく高齢者、一番輝いていた時の思い出に帰るわけではないけれど、そこに出てくる人々は、その高齢者にとって、生きているうちに関係性を考えなければならない人であったり、そのひとたちとかなえられなかったことを妄想の中ででもかなえたり、要するに、このまま死ぬわけにはいかないさまざまなことが、高齢者の妄想をはじめとする周辺症状にあらわれるのではないかと。
また、さまざまな事情で高齢者福祉施設に認知症の親を預ける家族についても、もっと気を掛けることがあるのではないかという思いがめぐりました。
もうひとつのキーワードとしては、「市井の人々のアーカイブス」ということ。
その人なりの一生のできごとを次世代に繋ぐつなぎ手としての介護者について、もっとまじめに取り組むべきだなと感じました。
民俗学に関わる人、図書館司書、歴史学に詳しい人などの関わりが求められるだろうなと思っています。
また、いま、認知症高齢者が何度も何度も繰り返し話す第二次世界大戦の話、家族の話、育った環境・・・・。あまりにも個人的な情報だから、突っ込んで聞いたり、ゆっくり時間をとって聴いたりということに心を砕いてこなかったのだけれど、傾聴することによりカウンセリングに近いことができるのではないのかな?ということも思っています。
このまま、黙ってお墓まで持って行く話もあるでしょう。けれども、話すことで癒しを得る、ご自分を肯定する、これでよかったのだと納得される、そういうことの積み重ねが必要なのかもしれないと。これらについてはもう少し深く考えなければならないとは思いますが、正直な感想はこんな感じ。
赤木春恵さん、好演されてましたが、初の主演ということもあってか周りがとても気を遣われてることがよくわかります。特に、どんなに認知が進んだシーンでもしっかりメイクしてるところなんかそういうとこですね。
でも、逆にどうして高齢者はメイクしないんだろ。もしかしたら、ばっちりお化粧したいと思っていらっしゃるかもしれないし。あらゆることで今の自分の介護を見直すきっかけになりそうです。
いろいろ書きましたが、基本的に明るい映画です。
じつろく 大みそか
別に何があった訳でもないですが、長女が20歳を超えたことだし、おせちに何を作るのか、とか記録しておこうかな。
実は、ずっと大みそかは忙しくて忙しくて、座る暇もないくらいだったのですが、やること、作ることを整理してこのスタイルにして数年。
今年は紅白を見ながらこんなことをしております。
写真が時系列でアップしてしまったので、とりあえず、時間を追ったわかりにくい構成で(笑)
ではまず12月30日の作業から。
栗きんとんを作ります!
今年使うのは、長野から買ってきた栗みつ。
さつまいもを輪切りにしてくちなしの実と一緒に茹でます。
竹串がすっと通るようになったら一個ずつ裏ごしします。
栗みつと砂糖を加えて練り上げます。最後に栗の甘露煮を加えます。
黒豆を煮るよ ウチのは圧力鍋を使って気軽に煮ます
煮汁を作って一晩豆をつけておきます。
ここから31日の作業
圧力鍋で20分。自然冷却させます。豆は冷えるまで煮汁に浸かったままにしておきます。
お煮しめ作ります!
おだしを煮立てて煮汁を作ります。白醤油を使って薄い色にします。お吸い物よりちょっと濃いめ。
こんにゃくを手綱にして下茹でします。
鶏肉を煮ますが、色が変わったくらいで取り出します。
サトイモは別鍋で煮ます。煮汁を作って最初から下茹でなしで煮ます。
煮豚作ります!
たこ糸で肉を巻いて、ねぎとしょうがと一緒に圧力鍋に入れ、氷砂糖と泡盛と醤油と水を入れて、蒸気が出てから25分。
錦卵のための白身を刻む長女と二女
はんぺんを裏ごしする長女。伊達巻に使います。
酢バスを作ります。酢を入れた水を煮立ててハスを茹でます。
ウチはその後すし酢に漬けます。
錦卵を蒸しました。
昨日から鶏ガラとネギと水でスープをとっています
シノワで漉します。
煮豚ができました。
伊達巻用に卵を濾します。
鶏ガラを裂いてネコのひよのごはんを作ります。
FPではんぺんと卵を混ぜます。
ロールケーキを焼くようにして伊達巻をオーブンで焼きます。
お雑煮に入れる野菜の下茹で
伊達巻焼きあがりました
ロールケーキを巻くように何本か包丁を入れて巻きすで巻きます。
こんな感じ
牛肉のたたきを作ります。
各面を焼いてアルミホイルで巻きます。
煮豚完成ですぅ
年越しそば用の煮汁を作ります。
鶏ガラのスープをベースにかつぶしと醤油の味付がウチ流です。
おせちの海老 煮立たせた煮汁に入れて色が変わったらすぐ止める。
年越しそば用の海老のてんぷら。 衣にベーキングパウダーを加えてさっくり仕上げます。
伊達巻き完成です!
ひよ「あたちのごはんはまだ?」
年越しそば
今年はエビも豊富にあります。
完成!
ざっとこんな感じ。誰も食べないものとかおいしくないものを排除して、この品数になりました。
あとは、明日盛り付けて完成です。
子どもを育ててきて、やっとわかったこと
まぁ、ご存じかと思いますが、私にはそれぞれ2学年違いの三人の娘がいます。
それぞれ、怖ろしいほど個性的ですし、私と夫のイヤなところをこれでもか、と言うくらい受け継いでいます。
ご多分にもれず、ありとあらゆるいろんなことに翻弄されてき続けてきた20年間の子育ては、まだいろいろ悩みに変化を持たせながら継続中です。
そんな中で、現在、4年間続いた「受験生のいる夏」の4年目を迎えて、二女が大学受験に挑んでいます。
今までの3年間、ひたすら叱咤激励の日々を送って、「全力を尽くして」「もうちょっと努力してもう一歩前へ」みたいなことをひたすら言い続けてきました。
それが、受験生の親のあるべき姿、とも思ってましたし、それぞれの娘がもう一ランク上に行くにはどのくらいの努力が必要で、その子にそれが可能かどうか、ということはきちんと見定めていたから そういうスタンスになんの迷いもなかったわけなんです。
ただ、今回の受験生、二女は高校受験の志望校を決める時から、「全力」とか「努力」とかいう切り口とは全く異なる切り口で物事を考えていたので、まぁ、それもその子の特徴だし、と無理やりではありますが納得するように心がけてきました。
彼女の考えの根底にあるもの、それは「力半分主義」です。
もともと、ぎりぎりになって走ったり、急いだりすることを嫌う5分前行動のコですが、それはひとえに全力を使いたくないという考えのもと、5分早く起きたり、5分早く出かけたりを厭わないコなのです。
高校を選ぶ際も、「努力すればもっとランクの高い学校に入ることができるのは充分わかっている。だけど、私はその学校でビリにならないために並々ならぬ努力、全力でなにもかもやらなければならない生活を3年間過ごすわけで、それは私の主義に反する。」と、必死の努力をすることなく、県立の中の下ランクの学校に中くらいの成績で入り、中くらいの努力で日々を過ごしてきました。
2年生の半ばごろ、大学を視野にいれた親子の話し合いで彼女は全く私の考えにないことを言いだしたのでびっくり。
小さいころからの夢は変わっておらず、その資格をとるために一番安くて一番簡単で一番効率の良い方法を考えて短大に指定校推薦かAO入試で入る。
ちょっと興味のある学問もないではないが、どうせ就職するのに必要以上に知識はいらないという結論に至り、4大には行かない。
決めた短大は今の成績でも充分入学できると踏んではいるが、ちょっとだけ成績を上げて、より確実なものにしたい。
もっとレベルの高いところ、と両親は言うが、一番家から近くて資格がとれ、そこそこその資格を活かした就職率も高いのだからその短大卒という経歴になんの不満も不自由もない。
これが彼女の主張です
さて、今日、高校3年生の前期の成績が発表され、さきほど、二女がメールで速報を流してきたわけですが、納得していたはずの私の心に、俄かにさざなみがたっています。
こういっては何ですが、ものすごく成績がいいのです。どうしても上げることのできない体育以外はすべて上がってます。
もちろん、県立の中の下の高校ですから成績がいいと言ってもタカが知れてるのは充分承知してます。
でも。
「このままでいいの?」 「短大に行くにしても、もっとレベルの高いところにしなくてもいいの?」私の心の中のさざなみが言います。
もとよりすっかり進路を決めた二女に今更こんなことは言えないし(もう3回は言ってるので、それ以上は彼女は耳を貸さない)、さりとてもやもやするので、ここに書いてしまった。
で、私がこの20年間力の限り努力して子育てしてきてやっとわかったことはなんなのか?を記すと以下の通りになります(笑)
○「全力でなになにする。」「力の限り努力する」という大方のヒトが目標にする生き方とは全く別の流れで生きていくヒトがいる。
○全力を尽くすことは、人間としてあるべき姿というのは必ずしもあたってない。
○「力半分主義」だからと言って、何にもしないで流れているわけではなく、力半分しか出さなくてすむための努力をしているからこそ、力半分で生きていける のだ
以上3点を私はやっと理解したのであります。
さりとて、悩みは形を変えて継続していく・・・・・・
雨の前にザリガニを釣りに行く
寿命とはいえ、飼っていたおノラのコクワガタや3代目のアメリカザリガニが死んでしまい、あとは、いるかいないかよくわからないニホントカゲ2匹と19歳の老猫1匹。
娘らも奥さんもとっても冷たい。
遅れてきた「生き物好き少年」は俄かに寂しくなってしまったのかもしれない。
空になった飼育ケースを埋めるべく、新しい生き物を探す。
「アメリカザリガニだ、アメリカザリガニを獲ってこよう」
「どーぞー」
「お前が獲らなくて誰が獲るのさ!」
「え〜っめんどくさい」と言いつつ早2ヶ月。
水槽にはメキシコサラマンダー(通称:ウーパールーパー)2匹が住みつき、いいかなぁと思っていたが、やはりアメリカザリガニは特別なのか。
ツレを気分転換に外に連れ出したく、梅雨空の合間を縫って秘密の人工池にアメリカザリガニを捕獲しにでかけた。
ウチのそばのハイキングコースからその池にでかける訳なんだけど、長いこと行かないうちに
すっかり整備された大人しいコースに変わっていた・・・・のに、何にもないところで、私は1回こける。
父はクマ、自身は山猿、と思っていた私も寄る年波には勝てないのね、ぐすん。
少し精神的に不安定な「遅れてきた生き物好き少年」はスタスタと前を行く、山道なのにビーサンで。
私は道々、よさそうな木の枝を物色しつつ人工池に到着。
近年、池の生物を守りましょう、とかで表向きには生物の採取を禁じてるんですけどね、
アメリカザリガニは池の生物を食べちゃいますからね、獲ってもいいんですよ。
でも、近所のうるさ型のおじいさんとかが見張ってたりしたら、「ザリガニの生態を研究するのでつがいで一組分けてください。」とお願いするつもりでした。
だが、しかぁし、そこにいたのは英語を話す親子。タモ網を使って豪快に池の中をかき回しておりました。
くそ、私もタモ網、持ってくればよかった。
「生物好き少年」が彼らの成果を覗いたところ、ホントに小さいザリガニばかり。
やはり、ここは釣るっきゃないでしょう。
(ツレは私をブスでデブに撮影することにかけては天才である)あっほんの少し太ったけどね。
トライすること30分弱。スルメ一かけで4匹釣りました。
今年生まれたヤツらばかりなので、香り高いスルメの匂いは生まれて初めて嗅いだのかもしれません。
割と食い付きだけはよかったです。釣りあげるうちに池ぽちゃしちゃうことが多くて、全部釣れたら15匹くらいはかかったと思います。
前はよくいたおたまじゃくしもおらず、メダカもいないってことはこいつらが全部食べちゃったのかもしれません。はぁ。
必要以上に釣ってもなんなので、残りのスルメと予備のタコ糸は外国人親子に譲ってあげ、釣り方を教え、飼い方を教え、意気揚々と帰宅しました。
このあと、水を入れ、水草のアナカリスを入れてかいはじめました。
これで少し、ツレの精神状態が安定してくれれば今日の筋肉痛もその甲斐があったというものです。
※カメラの日付設定がまるっきり嘘であったのでひどい方法で消した(笑)
後日譚
一日にして、一匹が死んでしまい、おりょっとなったが、3匹で落ち着きそう。
しかし、まだ小さいからとたかをくくっていたら、今朝、玄関まで1匹が遊びに出てるという。
とりあえず、ふたの上に重いものを乗っけて様子見
ヤゴの引っ越し
旧宅から、ずぅっと水性植物を愛でるために直径1メートルほどのたらいを使って、池代わりに使ってました。
ところがです。どうも劣化により、ひびが入ったらしいのです。なみなみと水をたたえていたはずなのに
ほとんど水がなくなってるところから、にわかに心配が浮上しました。
もう、ほとんど水性植物にたいしての興味は失せてるのですが、底のほうにいるはずのヤゴはどうしてるんだろ。
で、ホームセンターに行って、新しい池(ちがいますけど)買ってきました。
汚れてる水をとりかえ、底の泥からヤゴを助け出し、お引っ越しさせました。
はっきりはわからないけど、たぶんアカネ系のヤゴだと思います。
違ったらすみません。
水性植物の鉢は根詰まりして根っこがすごいんですけど、今回はとりあえず、今夏、羽化しそうな2匹のためにそのまま水に沈めました。
さよなら、図書館。アタシは幸せだったかもしれません。
謹啓
アタクシ、このたび、図書館業界から足を洗いました。
勤務していた大学図書館において、アタシをはじめとするスタッフがほとんど総入れ替えに至るまでのさまざまな事柄については、聞くところによると業界の噂にもなってるらしいですが、おおむね、うわさは合ってます。
対利用者、対大学、対直接指揮命令者、対パートナー会社。
要するに、どちらを向いて仕事をしていけばいいのかわからなくなってしまった、というのが一緒に退職した仲間の辞職理由の根底に共通するものだと思います。
詳しいことはお約束により書けませんが、この業界を巡る派遣とか業務委託とか非正規雇用とか正規職員以外の働き方のシステムは、ここらへんできちんと考えないと、ありとあらゆるひずみが極限まできている気がしています。
アタシ自身は、つぎつぎに辞めていく仲間の仕事を、やっと入ってきた新人に的確に移譲するまでの間、自分自身の仕事にプラスしてしなければならないことの重圧と、女王のような人のご機嫌をとりながら仕事をすることに、精神的に疲弊してしまった、ということが退職の理由として挙げられます。
何を甘えた事を、と言われそうですが、それに見合う時給と扱いを受けていればニッコリ耐えられることでも、この時給とこの扱いでそこまでやってられるかい、というのは人間の尊厳としてありうることだと思いますし、実際、1.5倍の時給であればアタシも頑張ったかもしれません。
でも、この扱いで、これ以上はがんばるのは馬鹿みたい、他にもイキイキとできる仕事はあるし、少なくとも、派遣や委託の図書館員よりは絶対いい、というところまで、アタシたちは精神的に追い詰められていました。
次に辞めさせられるのは、自分かもしれない、それも、大したミスもないのに、気に入らないという理由だけで、というのは結構精神的にくるものです。ですから、辞めてしまった今、精神的には非常にすがすがしい毎日を送っております。たとえ、高校生男子のようなツレと精神的バトルを繰り返す毎日だったとしても。
さて、研究者になることも早々にコースアウトし、*1 学術関係者のツマになることにも、諸般の事情で(おおむね、アタシのわがままな理由で)泣く泣く挫折してしまったアタシが、図書館、とりわけ大学図書館にこだわっていたのは、何らかの学術支援、研究支援に携わることによって、長年アタシの意識のそこにひっかかっていたこれらのことを、「グルーミング」していたということなんだと思います。
こうやって学術支援の一角を末端であっても担っていれば、自分の興味あるところも調べることが可能だし、いつか何かの形でヤツ*2の力になれる日もあるだろう、というはなはだ図書館員の風上にも置けぬ下世話な想いからずぅーっとこだわっていたに違いないのです。
そういうアタシにとって、大学図書館は極めて、居心地がよく、事情さえ許せば続けていきたい業種ではあります。
しかしながら、働くことの意義やプライドよりもまず、どれだけ収入が増えるか、どれだけ長く働けるかに重点を置かなければならない昨今、大学の有期雇用としての非常勤図書館員、一年ごとの更新に翻弄される派遣・委託としての図書館員は、働ける期間からも収入の面からもまず、アタシの脳裏から消さなければならない仕事でした。
それはとても残念なこと。でも、仕方ありません。
第一アタシぐらいのスキルを持った図書館員なんて掃いて捨てるほどいるし、同じスキルなら若くてきれいなおねぇちゃまや、素敵なおにいちゃまを雇いますよね。(少なくともアタシが雇用者ならそうする)
そういう意味でも業界を離れるにはよい潮時だったと思えます。
まぁ、未練がないといえば嘘になりますけどねぇ。
ですが、結婚も離婚もできない、と言われる派遣、委託司書業界の内情が改善されない限り、やはり身を置き続けることは不可能なのですよね。
まぁ、言うべきか言わざるべきかは悩むところですが、言ってしまえば司書の資格なんてあってもなくてもあんまり関係なく、もし、あったとしても正規司書の椅子の数は限られている。
つまり、非正規司書を量産するために今の司書課程が存在しているとしたら、なんの意味があるのでしょう。
今後、司書課程が大幅に改定されたとしても、その現実は変わらないわけです。
それに上級司書制度ができたとしても資格を取る人数ときちんと勤められる環境の司書の椅子の数のバランスは変わらないわけで。
何をどうやれば業界が変わっていくのかはホントに真剣に考えないとわからないのですが、アタシのような頭でもわかることは、結局、「安く上げよう」としている行為が、図書館業界全体の首を絞めている、ということです。
地方公共団体や、大学などが図書館運営費を押さえるのはわからないわけではありません。
しかし、ものには適正な価格があるわけで、入札で一番安かったということは実際に勤務する人たちのクオリティを下げていくことに繋がり、ひいては利用者にとってマイナス、つまり、その図書館全体の評価が下がると言っても過言ではないと思うのですが、いかがでしょう。
こういう傾向を変えていくには、ある程度の権力が必要だとアタシは思います。
ですから、図書館クラスタの若い皆さま、エラくなることを目指して下さい。
そして、今の不満をどうか忘れず、権力を持って改善に向かってくださると図書館は生まれ変わるんだと思います。
図書館界にも「ムロイシンジ」*3は必要なのです。
まぁ、辞めるにあたって好き勝手なことを書きましたが、おおむね、アタシは幸せに司書やってこれたことは確かで、関係各位にお礼申し上げたいと思います。
最後に、図書館クラスタの皆さま、正規非正規関係なく、御身大切になさり、ご活躍されますよう、心より願っております。
りえろん
敬 具
追伸: あと、図書館司書の資格を持っていることや、前職が図書館員であった、ということは図書館業界から鞍替えする際、マイナスになることはあっても決してプラスとして作用しにくい、ということは申し添えておきますね。
ハロワの人でさえ、図書館員だったってことはイメージとして「冷たい」「高飛車」「協調性がない」というようなマイナス面が多いものね。とはっきり言われちゃいました。世間の印象なんてそんなもんです。
追伸:twitterの@rieronでフォロー下さっている図書館クラスタの皆さま。私は今後、図書館ネタは呟きませんので、フォローの解除をお願いいたします。もし、こいつの呟きは図書館以外のほうが面白いぜ、と思われた方は、引き続きのごひいきお願いします。いままで本当にありがとうございました。
アタシハ ハルガ ダイキライ。サクラノ ハナガ ダイキライ。
実は、今日は父の3回目の命日。いわゆる3回忌である。
ただ、アタシらはアタシらなりの命日と供養の仕方をみんなで決めて、ことさら法要を営むことはない。
それも、人の死は流れの一つ、父のことを思い出すのが供養、と思ってるからだ。
だから、アタシなりにちょっとあの日のことを思いだしたい。
あの日、父は1週間の救急救命センターぐらしの末、かなりあっけなく逝ってしまった。
もちろん、ちょっと危ないと思う、との医師からの説明で義母もアタシも妹も孫たちも集まってはいたが、臨終に立ち会えたのは2〜3人だけだった。
階下の家族控室に呼びに行った人も間に合わないくらい、その死はあっけなく「ちょっちょっと待って!」と叔母は叫んだほどだ。
一番ドライなすぐ下の妹は父が倒れて救急救命センターに運び込まれた時、医師の説明を聞き、一番客観的に「つまり、もう意識は戻らない、脳死と理解していいわけですね。あとは心臓がいつまでもつか、ということですか?」と涙ひとつ流さずに聞き、父に向って、「お父さん、聞こえてないと思うけど、あなたは体は生きてるけど、脳は死んでいるんだって。もう、この世で話をすることも何か食べることもできない。あなたが早く、死んだお母さんの所に行きたいと思うなら、もう、頑張らなくていいよ。逝ってしまいなさい。ただ、アメリカから今、一人あなたに会いに駆けつけてる娘がいるから、彼女が帰るまでは頑張って、彼女のために。」と義母に聞こえないように言った。
父は妹の言うとおり、アメリカから戻ってくる義妹を待って、そして意地でそのあと数日頑張って、いきなりすぅっとあらゆる数値をゼロにしてあの世とやらに出かけていってしまった。
アタシはドライな性格、合理主義で売ってきた。
だから、みんなと一緒に怪談なんかに興じるけれど、霊魂の存在も幽霊も爪の先ほども信じてない。
だけど、だけど、あの日、アタシと三女ちゅんちゅんは見たのだ。
父の死後、病院の廊下の窓の外、人が通るようにはできていない坪庭を横切って歩いていく父の姿を。
その時、アタシとちゅんちゅんは2人吸い込まれるようにいきなり立ち上がって窓の方を見た。
どうして、そっちを2人同時に見たのかはどんなに考えてもわからない。
ただ、晩年は歩くことさえできなかった父がICUの黄色い患者用の服を着てすぅっと軽やかに右から左に移動していったのだけは、はっきりと覚えてる。
ちゅんちゅんとアタシは、即座に窓の外を指さして「今、今、ほら!」と訳のわからない言葉を発したんだけど、誰にも理解してもらえなかった。みんな、妹に輪をかけたように合理主義だったのである。
あのことでわかったことは、
なんだかわからないし、何がそうさせるのかはわからないけど、集団催眠みたいなものは起こりうるし、もしかしたら、霊魂ってあるのかもしれない、ということ。
それと、どんなに着道楽でもおしゃれでも、あの世に行くときはきっとおしゃれとは程遠いもの着てっちゃうんだなってこと。
父は無類の着道楽でおしゃれなひとだった。
ちなみに、義母の希望で父はすごいおしゃれな着物を着せて納棺したんだけど、黄色い患者服着て歩いてった父のこと思うとなんとももったいない気がアタシはした。
アタシはドライな性格、合理主義で売ってきた。
だから、みんなと一緒に怪談なんかに興じるけれど、霊魂の存在も幽霊も爪の先ほども信じてない。
ただ、子どもだったから、なんだかわからないままの不思議なできごとには何回か遭遇していて、実際、今でもその出来事にはアタシなりの説明はついてないんだけど。
説明のつかない不思議なことがあの日以来、ひとつ増えたんだよね。
父は文学青年だった。活字中毒でもあった。若い頃には、戯曲を書いたりもしてたらしい。
祖父から預かった大学の学費を文学全集に替えてしまって困ったんだ、と旧かな遣いの日本文学全集を前に大威張りする人でもあった。
そんなに書物とともにあった父も、晩年には文字を追う気力がなくなってしまい、本読みの晩年の悲しさを見せつけてくれたりもした。
「一生に読める本の予定冊数に晩年の数年間を予定してはいけない。」父が身を持って教えてくれたひとつだ。
桜の咲くころになると、父はいつも
西行法師の「願はくは花の下にて春死なむ、その如月の望月のころ」と必ず言っていた。
桜満開からはずれてしまったけれど、その1週間のタイムラグはアタシたちに心の準備をさせるための優しい配慮だとアタシたちは理解している。
父にとっては本望だったと思う。たぶん。
ふんふん、と受け流していたアタシだけど、アタシハ ハルガ ダイキライ。
サクラノ ハナガ ダイキライ。
う〜ん、改めてアタシは何も考えてないことに気がつかされた、有難きhatekupo氏のDM
昨晩、アタシは「不良司書のなりゆき日記」というブログを書かれているhatekupoさんからTwitterのダイレクトメッセージをいただきました。
これからの司書はスペシャリストの看板を捨てる覚悟がないとダメかもわからんね… - 匪図書館員hatekupoの「貸出しバカ一代」にコメントを書いて下さった常勤の方がいる、できれば委託の立場から意見を述べよ。という依頼でした。
で、気軽にOK!とか言って、いただいたコメントについて。スペシャリストとして、職員問題として… - 匪図書館員hatekupoの「貸出しバカ一代」のコメント欄に書き始めたら、あらら、長文!ということなので、改めて駄文ではありますが、エントリを起こすことにしました。
ちょうど「みんなの図書館」2010年3月号に載っていた『シナリオ「図書館委託したらどうなるの?」―笑いを取りつつ、委託の本質を見事にとらえています! 真木美紗緒』について図書館の委託問題は長きにわたって論ぜられてるのに、当の正規職員の方の認識は、まだこのレベルにとどまっているのかと、悲しく思っていたところだったので、setoさんという方のコメントはある意味アタシにとっては嬉しいものでした。*1
もともとの非常勤の方の発言の場にいませんでしたので、その方の発言の意図はわかりませんが、これだけ常勤、非常勤の問題がこじれていることを思うと、上司に対するグチが業界全体につながるというのも、業界を「森」とすれば上司はそれを構成する木の中の1本という扱いでも仕方ないでしょう。
ただ、「もっと非常勤側もうまく立ち回れよ、提案もしてこいよ」的な発言をされてるのは大変頼もしく、それが真からのお気持ちであり、そういう職員のかたばかりなら、先は明るいな、っと思います。
アタシが今勤務しているのが大学図書館であることから、公共図書館とは少し違うところがあるということ。
また、非常勤職員にもいろいろな形があり、アタシはその中でもいわゆる業務委託会社の契約社員という立場であること。
をお含みおきいただきたいのですが、図書館の委託、非常勤職員についての問題点は、非常勤の立場から見ると
- 業務を委託すること、非常勤職員を雇用することで職を追われたり、元来ご自分たちのやってきた仕事を奪われるかもしれないと思う専任職員の方がいること。
- こまごまとした業務を委託することでよりきめの細かい利用者サービスが可能になることに思いを馳せることができないこと。
- 図書館運営を一つのミッションとして考える素地が専任、非常勤双方にないこと。
てな感じでしょうか?
この問題点だって、専任職員と非常勤職員とでは、絶対にあげるものが違うはずです。
ただ、声を大にしていいたいのは、「図書館の運営はサービスであること」と、「第一義的なサービス対象は利用者である」ということです。
これが専任、非常勤共通のキーワードになるのではないかなぁ。
ここから互いに歩み寄っていくことで、「図書館運営というミッションを果たす」のが理想的とアタシは考えます。
またスペシャリスト、ゼネラリストに加えてバーサタイリストという概念も上がってることを申し添えます。
拙エントリ図書館員は自分の「知」のすべてを使う職業だと信じたい。 - ES ist GUT!!のコメントで山中湖情報創造館の丸山さんが発言してくださいました。アタシは、これも一つのキーワードかな?っと思っているのですがいかがでしょうか?
以上、ホントに取り急ぎのエントリで、反論等いろいろあると思いますが、どうぞよしなに。(ペコリ)
*1:setoさんのコメント自体は[http://d.hatena.ne.jp/hatekupo/20100217/1266412044:title]こちらでご覧ください。
今日の一冊はたぶん最終編 他にリーノが18歳になって、そして、四十うん歳最後の日に思うこと。
実は、だんだんと後輩と同僚に委譲してきたチェックの仕事、
アタシの教え方がよかったのか、委譲された方のできが格段に
よかったのか、先週1週間アタシがぜんぜん触らなくても業務が滞らないところまで
来ました。よって、きっと一番に新着図書をチェックするのはこれが最後かと。
あとは新着図書コーナーで見かけたおもしろそうなのをチェックしていくことに
なりましょう。
で、アタシは他の仕事に専念することになりそうです。
見ての通り、徳川家のさまざまな事柄が書かれています。
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これは割と近代の絵師のもの
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これを熟読してもおそらく魔法使いや魔女にはなれないだろうけど、魔法使いや魔女が何を考えていたのかは少し分かる気がします。
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さて、先日、ウチの愚娘、通称「でかどん」とか「りーの」とか呼ばれてる長女が18歳になったわけだけど。
「成年年齢の引下げ等に関する法律案」いわゆる18歳を成年とする、という法案がいよいよ身近になってきたわけ。
親としては、今までたった1歳違いなのにピンときてなかったんだよね。18歳成年というのが。
当の本人たちは現代社会やらなんやらでずいぶん討論を重ねたり、研究したりして『自分たちは18歳成年制度に反対である』という結論も出したりして。
今、高校三年生の子たちが対象年齢18歳に今年度中になるわけだけど、ご存知の通り4月2日に18歳に既になってしまった子から、来年の4月1日に18歳になる子まで1年間の幅がある中で、特筆すべきは、この子たち、今日本で生きてる人たちの中で、一番教育内容の薄い世代、いわゆるゆとり教育世代に入っている、ということ。
当初は円周率ほぼ3、とかとんでもないことを教えられそうになった子たちがするっと今日からおとなで〜す、と言われて果たして世の中渡っていけるのかしら。
18歳を成年とするのは結構だけど、それにはそれなりの準備期間が必要でしょう。
そのつもりで育てなければ、20歳成年と同じだけの責任を負わすことは、アタシは大人としてできない。
アタシたちは物心ついたときから「20歳が大人、」として育てられてきたし、江戸時代の武士の子は「元服が済んだら大人」ってやはり物心ついたときから育てられてきたはず。
ならば「18歳成年」とされる子たちも、物心ついたときから「18歳が大人」という認識で、そのつもりで育てなければならない、と思う。
ですから、本当は18歳成年制度は今から最低18年後の施行でないといけないような気がする。
だって、権利だけでなく義務も伴うわけだから、それなりの覚悟は必要でしょう。
18歳で成年となる子どもたちを育てていきつつ、社会もそれに向けて成熟していく。
それほど時間もお金もかけなくてはならないことなのだ、とアタシは「四十うん歳最後の日」に思うものであります。