問題はなんだろうか?(メモ)
書物の形も、印刷の方法も、収書の方針も、整理の方法もパピルスに書いてるような時代から、図書館というものは、長い間かけて試行錯誤を繰り返し、
いろいろなものがいろいろな形に変化してきたわけだけど。
関わる人々が悩む内容は、昔とそう変わってないような気がするんだよね。
いかに資料を収集して利用に供するか。
その中で公共図書館はスタンスの取り方がとても難しいよね。中のヒトと利用者が望んでることはどうも果てしなく乖離してるし。
閑話休題
え〜と、たとえば私の住んでいる市を例に、何かを収集している施設をあげてみようか。
まず、
○市立図書館。中央図書館以外に4館ある。中央図書館には近代史資料室があり近代の郷土資料と写真を収集してる。
○大きな神社が管轄している文庫。郷土、神道に関する古文書、資料を収集、閲覧可能
○文学館。市にゆかりのある文学、文士に関する資料を収集。
○私立大学図書館。市立図書館を通して資料を利用できる。
○学校図書館(小中あわせてえ〜と25校、県立高校は4校。私立の小学校2校、私立中高は4校だったけな?)
○県立の近代美術館。それと小さな美術館が2館だったけか?
ほかに、隣接する市の図書館とは広域協力で相互利用できる。
もちろん、県立図書館、国会図書館の利用もできる。
博物館は今のところないけど、隣の市に県立のがある。
そこでです。
G.C.W.氏の言うところの「図書館とは共同体(Community)の記憶を納め,何時でも引き出せるようにしておく記憶の共同体(Utility)」について考えてみると、共同体(Community)の記憶の収集をこれだけの施設があれば公共図書館のみが行う必要はないのではないか?とアタシは思うのです。それぞれの施設が何を収集するかは、もちろんよくよく取り決めなくてはなりませんが、みんなで分担して記憶を収集することで、少ない予算で効率よい収集が可能なのではないかと。
各図書館間のシャトル便もあることですし、学校図書館まで組み入れてしまうことで、もっと広域、広範囲の奉仕システムが作れるんじゃないかな、とツラツラ思っているわけです。
で、実験的にそういうことを行うに、この市は規模も人口もなんか、ちょうど好さそう。
え〜と、あくまでもアタシの妄想ですので、そこのところはよろしくお願いします。